源内さん、最後は「小伝馬町牢屋敷」


地下鉄日比谷線の小伝馬町に、かつて小伝馬町牢屋敷があった。
刃傷沙汰を起こした源内さんは、最後はここ小伝馬町牢屋敷で病死したといわれている。

江戸時代の牢屋敷は刑務所というより、未決囚、死刑の言渡しを受けた者を収容する施設だったので現代の拘置所に近い。

十思公園

十思公園

小伝馬町牢屋敷の敷地は2700坪、まわりは堀と塀で囲まれていた。牢屋敷の跡は、現在「十思公園」という公園になっている。
公園内には吉田松陰先生終焉の地の碑や、江戸時代に実際に使われていた石町時の鐘がある。また発掘された牢屋敷の遺構なども展示されている。

十思スクエア

十思スクエア

この公園の横に「十思スクエア」という施設が建っていて、一階の入り口を入ったところに、小伝馬町牢屋敷の全体模型が展示されている。この模型を見ると当時の牢屋敷の配置がよく分かる。

ちなみに「十思スクエア」の上の階には「十思湯」という銭湯が入っていて、なんか奇妙な感じだ。

牢屋敷模型

牢屋敷模型

展示模型の手間の大きな建物は、西大牢と東大牢と呼ばれる武士や僧侶、庶民の罪人が入れられた牢。奥に拷問倉や穿鑿所が見える。その左手には百姓牢があった。

手前が東大牢・西大牢

牢屋奉行は、代々世襲制で石出帯刀を名乗った。牢屋奉行の配下には、数役同心、打役同心、鍵役同心など約50人くらいの牢屋同心がいた。牢屋奉行の屋敷は方向からすると、ちょうど「十思スクエア」の建っているあたりにだったのかな。

処刑場跡付近

処刑場跡付近

十思公園の角、地下鉄日比谷駅のエレベーター出口近くに「処刑場跡の碑」が建っている。この自転車置き場あたりが処刑場だったのか。

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